読書や本についての極めて個人的な話

 書籍や読書に関するとりとめのない話は、今まで読書感想文のなかで、ちょこちょこ書いていたのですが、書名で検索して辿り着いた方にとってはほとんど意味がないため、今後はこちらに記述することにします。


海外文学初心者にお勧めの作家(2015年2月7日)

「海外文学に興味はあるけど、何を読めばよいか分からない」という人がいたら、僕はジェイムズ・ジョイスか、ヘンリー・ジェイムズを勧めます。
 ジョイスなら『ダブリナーズ』か『ユリシーズ』を、ジェイムズなら後期三大長編の『鳩の翼』『大使たち』『金色の盃』がよいでしょうか。

「ちょっと待った。いきなり、そんなものを勧めたら『海外文学って難しくて詰まらない』と思われて、離れていってしまうよ」という意見もあるでしょう。
 しかし、その考えは間違いだと思います。

 例えば「入門編として、適当に読んでも意味が通じて面白い作品から入って、慣れてきたら難解といわれる文学に挑戦すればよい」といいますが、そんなこと無意味です。
 分かりやすい小説を30年読み続けたからって、難解な小説が面白くなることはありません。なぜなら、それらは全くの別ものだからです。

 ジョイスやジェイムズの小説は、頭を働かせながらじっくりと取り組まないと、何が起こっているかすら把握できません。
 僕にとってはとても楽しい時間ですが、「そんな作業は面倒臭い」と思う人が多いことも承知しています。
 けれど、そんな人は、本なんか読まなくてよいのではないでしょうか。100年前と違って、現在は様々な娯楽があります。わざわざ読書なんか選ばなくったって何も困ることはありません。分かりやすくて面白い小説なら、読まなくても多分、映画やドラマになるでしょう。本が売れないといわれますが、それだって当然のことです。スマホやゲームに勝とうと思う方が、どうかしています。

 勿論、理解しやすい本だけ選んで読んでも構いませんが、それでは読書の楽しみの大部分をなくしているような気がするんですよね……。

 というわけで、ジョイスを読んで、合わないと感じたら、そこでやめてしまえば無駄が省けます。
 海外文学が肌に合う人は、いきなりジョイスでも楽しめるはずですから。

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読む本を厳選する(2014年12月15日)

 僕は「本が好き」です。けれど、「読書家」ではありません。
 何をもって読書家と定義するか分かりませんが、選ぶ本の質や読み方を云々する以前に、僕は圧倒的に読書量が少ない。これで、読書家を名乗ったら、鼻で笑われてしまうでしょう。

 また、読書にかける時間も、さほど多くありません。通勤時間のうち電車に乗っている約1時間。そして、就寝前1時間の計2時間が1日の読書時間です。
 仕事における外出時、あるいは昼休みに本を読むこともあるし、休日は朝から晩まで本を読んでいることもありますから、平均すると、もう少し多いかも知れませんけど。

 なお、数年前から、読書記録をつけ始めたのですが、1か月で10〜15冊の本を読んでいることが分かりました(漫画は除く)。年間だと120〜180冊です。
 これは余りに少ないといわざるを得ません。
 きちんと本を読み出してから30年と仮定し、暇だった学生時代や無職の頃を鑑みると、現在まで読んだ本の冊数は多くてたったの5000冊なのです。

 この歳になっても「こんな本があったのか」と吃驚することがしばしばあり、その都度、己の無知と、残された時間の短さに愕然とします。一体、いつになったら「そこそこ頑張ったな」と納得できるようになるのでしょうか。

 絶望的になった僕が考えたのは、読む本を徹底的に絞るということです。
 これまでは無節操に本を選んでいました。けれど、それをやってると「死ぬまで読めない本がこんなにある」と空しさが募るばかりです。ジャンルでも形式でも形態でもいいけど、ざっくりカットしてしまえば、その部分に関しては悩まずに済みます。
 というわけで、仕事で読まざるを得ない本はともかくとして、趣味で読む本は厳しく選別することにしました。

「読む本を選ぶのは、当たり前のことじゃねえか」と思われるかも知れませんが、実行するのは、なかなか困難です。
 というのも、特定の分野の本を切り捨てることは、極論すると、他人を一切気にしないことになるからです。

 はっきりいって、若い頃に、それをするのは無理だったと思います。ことさらに流行を追い求めることをしなくても、読書は、コミュニケーションツールとして、ある程度機能していたからです。
 人によく思われたいがために、目新しいもの、マイナーなもの、小洒落たものを、好きでもないのに手にすることも多くありました。読んでいないと話題についてゆけないこともありましたし、ある人を理解したいがために、その人の好む本を読むこともありました。また、「これ、面白いから読みなよ」と無理矢理本を貸してくれる人もいたのです。

 なお、それは別に悪いことではなく、若いときは何がどう作用するか分かりませんから、選り好みせず乱読しておいた方が視野が広がるような気がします。
 ただ、そうした習慣からはなかなか抜け出せず、気がつくと「自分が読みたいから読む」本は、案外と少なかったりするのです。

 年老いた今となっては、あらゆるしがらみから自由になり、自分が気持ちよいと思う本だけを読むようにしたい。誰に何をいわれても気にしない。「えー。今頃、『プラトニック・セックス』読んでるんすか」とかいわれても気にしない……。

 といいつつ、読書感想文なんて書いているのは自己顕示欲の一種なのかも知れませんが……。

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本の出張買い取り(2013年5月3日)

 僕は、平均して1か月に15冊ほどの本を読みます(漫画を除く)。ところが、購入する本は、凡そその3倍。つまり、1年間に約360冊の未読本が部屋に溜まってゆく計算になります。
 これを続けると当然、置き場所がなくなるので、やむを得ず選別し処分することになります。不要になった本は、基本的には紙ゴミの日に捨てています。古書店に持っていくのも、取りにきてもらうのも面倒だし、性癖がバレるみたいで恥ずかしいからです(別にアブノーマルな本ばかり持ってるわけじゃないけど……)。
 ところが、少し前、一度だけ、ネットで調べた市内の古書店にメールをして、出張買い取りをお願いしたことがあります(その理由は、後で述べます)。

 そのとき、買い取ってもらおうとしたのは「ダブって購入してしまった本」や「買ってはみたものの未読で、恐らくこの先も読む機会はないであろう本」(我ながら変な分類だ)です。
 事前に、メールで、本の種類と大体の冊数(約200冊)を伝え、買い取ってもらうことになったものの、そこから先がスムーズにいきませんでした。その古書店の得意な分野の本ではなかったせいか、何度メールを送っても、梨の礫になってしまったのです。
 本は既に書棚から取り出し、段ボールや紙袋に詰めてありましたから、このまま放置されては大変困ります。
 仕方なく「そちらのホームページに載っている本を買いたいので、買い取りの際に持ってきてもらえますか?」とメールしたところ、今度はすぐに返事があり、ようやく買い取りの日が決まりました。

 当日、家で待っていると30歳代と思しき、ずんぐりとした小柄な男性がワゴン車でやってきました。その男性は、部屋に入ると、早速、本の査定をし始めました。
 ところが、査定といっても、冊数を数えるでも、本の状態を確認するでも、書名をチェックするでもありません。ただ、ひたすら本を段ボール箱から取り出し、すぐに元に戻すという作業を繰り返すだけ……。
 当然、5分とかからず査定が終了しました。

「2040円になりますね」
「え……」
 僕が戸惑ったのは、買い取り価格の安さではありません。今までは不要な本を破棄していたわけですから、値段なんてどうでもよかったんです。
 実をいうと、僕が買い取りを依頼した理由は、プロの知識と駆け引きをみてみたかったからです。しかも、店頭で査定をするのと違い、出張買い取りはネットで検索したり、店員に相談したりといったごまかしがききません。まさに、己の身ひとつを頼った真剣勝負です。
 古書店主を、プロスポーツ選手の次くらいに尊敬している僕は、プロの目とこだわりを嫌味なくらい披露してくれるものと期待していました。そのため、価値の低い本の山のなかに、数冊、それなりに貴重な本を混ぜておいたのです。

 にもかかわらず、その人は全く気がつきませんでした。事前に200冊と伝えておいたため、1冊10円で単純計算しただけなのでしょう(40円という端数が謎。消費税じゃなさそうだけど……)。
 僕は、余りに大雑把な仕事ぶりをみせられ、啞然としてしまいました。新古書店のアルバイトだって、もう少し丁寧に査定してくれるんじゃないでしょうか。

 僕の複雑な表情をみて、男性は誤解したらしく、こうつけ加えました。
「えっと、60円おまけして、2100円にしておきますねー」
 僕が持ってくるよう頼んだ本は3000円だったので、差額の900円を支払うと、男性はもの凄い勢いで本を車に運び込みました(途中、箱を落とし、道路に本をぶちまけた)。逃げるように去っていったワゴン車をみつめながら、僕はこうつぶやいたのです。
「あの程度で古書店を開業できるのか……」

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図書館を利用しない理由(2012年3月13日)

 過去に何度か書きましたが、ここにまとめておきます。
 図書館利用の是非を問うつもりはなく、飽くまで、僕が利用しない理由を述べるのみです。
 ちなみに、僕は出版社に勤務しており、自分でも著作があるため、どうしても作り手の視点になってしまうことを、あらかじめお断りしておきます。

1 対価を支払う
 これは色々とややこしい問題を含むので、簡単に書きます。
 充実した時間を過ごすために対価を支払うのは当然と考えているので、少しでも著者や出版社の利益につながるよう、可能な限り新刊を購入しています。
 書籍は、購入前にその全て確認できるという特殊な商品です。場合によっては、書店で全部読んでしまっても構いません(映画のDVDやゲームソフトではそうはいかない)。ですから、十分満足できなかったとしても、著者や出版社を責める気にはなれません。
 なお、絶版の場合は、古書を購入するため、図書館を利用する必要はありません。

2 常に手元にないと困る
 本は、一度読んでしまえばおしまいというものではありません。一部ないし全部を読み返すことや、必要な情報がどの本に載っていたか探すことは、頻繁にあります。そのため、手元において、いつでも取り出せるようにしておきたいのです。
 一度も読まない、いわゆる積読も沢山ありますが、これは非常食と同じようなものです。本棚に並んでいるだけで安心できます。

3 自分のペースで楽しみたい
 読書は、僕にとって何よりの娯楽です。
 仕事やつきあいで読まなければならない本以外は、自分のペースで気ままに楽しみたい。一晩で一気に読了したいときもあれば、じっくり取り組みたいときもあります。また、途中で別の本を読み出すこともあるし、10年積読してあった本を突然手に取ることもある。
 ところが、図書館には貸出期限がありますから、「まず、これをいつまでに読み、次にこれを読み、最後はこいつを読むぞ」なんて計画を立てることになるでしょう。僕にとって、それは苦痛でしかありません。

 そんなわけで、図書館とかかわりあいにならなくても平気なのですが、唯一の泣きどころは「雑誌」です。
 古書店で探すのが困難な古い文芸誌に掲載された短篇を読みたいとき、コピーサービスは便利ですよね。

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ほしい物リスト(2012年2月3日)

 僕は物覚えがよくない上、積読が多いので、古書店にいったとき、困ることがあります。「この本、持ってたっけな?」なんてのはしょっちゅうで、ときには「この本、欲しかったっけ?」と悩んだりしたりして、我ながら呆れ果ててしまいます。
 古書との出会いは一期一会ですから、買わずに帰るのは、相当な勇気が必要。かといって、同じ本は2冊いらないので、ダブった場合は紙ゴミになってしまいます。
 かくして、標的の本を手に取って、矯めつ眇めつ眺めることになるわけです。

 ところが、最近は、携帯電話のおかげで、上記の悩みはほぼ解消しました。
 利用するのは、Amazonの「ほしい物リスト」です。ここに探している本は勿論、少しでも興味のある絶版本を片っ端から登録しておきます。
 そして、出先で悩んだとき、携帯からアクセスして、所持しているかどうか確かめるのです。本を入手したらリストから削除してしまえば、間違える虞もありません。
 自分でブログやホームページを作り、そこにリストを掲載しておいてもよいのですが、Amazonのよいところはマケプレの価格が表示される点です。僕は、価格を余り気にせず、欲しいときに買ってしまうタイプなのですが、購入するかどうか判断する目安にはなります(ネットと古書店の相場が余りにかけ離れていると、やはり躊躇します)。

 ただし、これでも完璧とはいえないのは、Amazonに登録されていない本が、まだまだあるってこと。少し経つと、突然登録されたりするので、こまめにチェックしています……っていうか、それくらいは覚えておけばいいんですけど、一度便利なものに頼ると、記憶しようという気が起こらなくなるから、困ったものです。

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ネット古書店開業の夢(2012年1月14日)

 隠居したら、インターネットで古書を売ろうと企んでいます。
 普通のネット古書店とは、目的も形態も異なるため、その計画の一部を記述してみます。

 まず、目的は蔵書(主として翻訳文学)の処分です。
 僕が死んだら、恐らく本は家族に捨てられてしまうでしょう。それだったら、必要な人の手に渡った方が幸せではないか、と考えました。
 この「必要な人の手に渡る」というのがポイントで、近所の新古書店に売ったのでは、同じ趣味の人にみつけてもらえる確率はかなり低くなってしまいます。
 最も簡単なのは、専門古書店に引き取ってもらうことですが、これは最終手段としてとっておきます。Amazonのマケプレやオークションサイトで売るという選択肢は、後述する理由のため不可能です。
 そのため、インターネット上で古書店を開くことになります。

 扱うのは蔵書のみです。本を売りながらも欲しい本は購入し続けると思いますが、入荷量は限られるでしょう。
 せどりや買取で集めることはしないので、無駄な在庫(自分にとって不必要な本)に圧迫される心配がないのが利点です。
 一方、新入荷が少ないため、利用者にしてみると、定期的にホームページを訪れる楽しみは余りありません。けれど、以前は目もくれなかった本に、突然興味を抱くこともあるでしょうから、まあ、よしとします。

 次が、一番の特徴なのですが、セット販売を基本にします。
「ダルタニャン物語」「オズ・シリーズ」「森茉莉全集」「異色作家短編集」などは当然として、作家ごとに「ナボコフ25冊セット」「ペレック10冊セット」といった具合にするわけです。
 これは、1冊だけ欲しい人に購入してもらえないというデメリットになりますが、そういう方は、そもそも古書店やマケプレなどを利用するでしょう(逆に、マケプレはセットで買いたいときに使いづらい)。
 僕が考えているのは「これからAという作家の本をまとめて読んでみようと思っている方」のためのネット古書店です。
 絶版の本を何十冊も集めるのは結構大変。1冊ずつ探してゆくのは楽しいけれど、なかには、その手間を省きたいと考える方もいるはずです。そこに僕の強みがあります。普通の古本屋では、まとまった買取がない限り、ひとりの作家を一気に揃えるのはまず無理ですが、うちのネットショップなら、好みさえ合えば、それが可能になります。
 また、まとめて売れれば中途半端に在庫が残らず、こちらも助かります。

 最後に、販売価格はなるべく高く設定したいと思います。
 値段が高いと「ぼったくりだ」という人がいますが、希少価値のあるものを安く売ってしまうと、本当に欲しがっている人に届けることができないため、よくないと僕は思っています。「よく知らないけど、安いから買っておこうかな」ではダメで、「高いけど、蒐集する手間や交通費、送料を考えたら妥当か」と悩むくらいの価格が適正ではないでしょうか(この点が早く売りさばいてしまいたいオークションとは逆の考え方になります)。
 それでも残ってしまった本は、前述の専門古書店に引き取ってもらえばよいわけです。

 目的は利益ではなく、蔵書の処分と、ちょっとした楽しみのためなので、こんなことも可能かなと考えていますが、どうなりますことやら。

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絶版の本ばかり取り上げる理由(2011年8月28日)

 出版不況といわれて久しい昨今、出版に携わる身として、絶版の本ばかり紹介するのは、正直、気が引ける部分もあります。僕の感想文を読んだ方が興味を持ってくださったとしても、出版社、取次、書店、著者の利益にはつながらないからです。
 そこで、改めて意図を説明しておきたいと思います。

1 絶版の本を読んでもらいたい
 絶版になった本というのは、いい変えると、新しい読者を獲得する確率が低い本ということになります。決して質が落ちるわけではないそれらが、なかなか読まれるチャンスがないというのは本当に悲しいことです。
 興味を持ってくださる方がひとりでも増えてくれたら嬉しいです。

2 情報を少しでも増やしたい
 古い本に興味を持ったとき、ネットで検索しても、情報が余り得られないことがあります。インターネットがなかった時代のマイナーな本の感想なんて少なくて当然なのですが、それを少しでも解消したいと考えています。
 逆に、新刊のレビューは、ネットに溢れているので、わざわざやる意味はなさそうです。

3 本を探す楽しみを味わってもらいたい
 長年探していた本がみつかったときの喜びは、何ものにも代えがたい。また、苦労して手に入れた本は、内容にかかわらず記憶に残ります。
 今は古書もネットで簡単に入手できますが、より安価なもの、あるいは美本を探すのもよいかも知れませんね。

4 出版社に感謝したい
 本というのは売れればよいというわけではありません。売れ線の本ばかりでなく、ときに「何だこりゃ」というものも発行してもらわないと、確実に文化は衰退してしまいます(尤もその辺は、余り心配する必要はなく、昔も今も変な本は沢山出ています)。
 僕としては、明らかに売れなかったであろう本のことを記しておきたいと思います。

 読書は一冊の本との出会いから果てしなく広がるものです。積極的に探し求めなくとも、頭の片隅に残しておいていただけたら、とても嬉しいです。

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古本屋(2009年7月15日)

 マニアではありませんが、僕も人並みに古本屋が好きです。
 神田の古書店街には頻繁に足を向けますし、初めての町では、まず古書店を探してしまいます。

 ただし、僕は絶版でない限り、基本的には新刊を買うようにしていること、探している本のジャンルは狭く、発行年は古く、部数は少ないことから、購入する古書は、ごくごく限られます。
 要するに、普通の古書店へいっても、欲しい本に巡り合う確率はとても低く、手ぶらで出てくることの方が圧倒的に多いんです。
 専門古書店では、求めている本がときどきみつかりますが、値段が高いのがネックです。
 昔は、運命の出会いに感動するせいか、それでも喜んで購入していたのですが、近頃は大抵の本が、ネットオークションやAmazonのマーケットプレイスなどで簡単にみつかってしまうため、感激も薄く、何となく買う気がなくなって帰ってきてしまうことが多くなりました。
 ここで買っても盛り上がらないので「地方の小さな古書店にぶらっと入ったとき、長年求めていた本に出会い、思わぬ安価で手に入れる」という盲亀の浮木みたいな可能性に賭けてみたくなってしまうんですね。
 マニアでも研究者でもない僕は、どうしても入手しないといけない本がないので、まあ、これくらいのスタンスでいいわけですが……。

 勿論、気にも留めてなかった本が急に欲しくなるとか、存在すら知らなかった本に一目惚れするとか、古書店にゆく楽しみはほかにもありますが、大きな目的のひとつがなくなったことは確かです。
 老後の楽しみも、ひとつ減ったかな。ちと、寂しい……。

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本の読み方(2009年2月15日)

 うちの父は、本が好き、というより、子どもに本を与えるのがやたらと好きな人で、幼少の頃は、ほとんど毎日といっていいくらいお土産に本を買ってきてくれました。
 そのせいで、自分で好きな本を選ぶ年齢になる以前に、僕の部屋は本であふれ返ってしまい、近所の潰れた書店から大型の書棚をいくつも譲ってもらって、何とか収めていたんです。
 小学校高学年以降になっても、父の癖は止まず、文学全集や古典の類を次々と与えられました。
 かといって「あれは読んだか」「面白かったか」などと聞かれたことは一度もありません。それどころか、今に至るまで、本を大量に買ってきた理由が那辺にあるのか、謎のままなのです。
 一体、彼は、自分の息子をどんな人間にさせたかったのでしょう。
 よく分かりませんが、結果的に余り上手くいかなかったといわざるを得ません……。

 ま、それはともかく、読書を強要されなかったため、僕は変なプレッシャーを感じることもなく、気の向いたときに身近にある本を読んだり、眺めたりしていました。
 そういう癖が身についてしまったのか、現在も、自分が選んで買った本でさえ、3分の2くらいは積読でその役目を終えています。極論すると、近くに本がおいてあるという安心感さえ得られれば、中身には目を通さなくてもよいとさえ考えているのです。
 だから、流行を追ったり、ノルマを決めてひたすら読了数を重ねたりといった行為とは一生縁がないでしょうね。
 好きなときに、好きな本を手に取り、飽きたら途中で放り出す。僕の場合、本とのつき合いなんて、こんな感じでいいんじゃないかなと思っています。

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困っていること(2007年1月20日)

 僕は基本的に、欲しい本は全て買います。図書館で借りたりすると、ふと思い出したとき、すぐに該当箇所が探せなくて気持ち悪いからです。
 今は、読むより書く方が優先されてしまうので、平均して月に10〜15冊ほどしか本を読めませんが、購入するのはその10倍以上です。当然、積読が多くなり、部屋中、本だらけに……。
 と、まあ、ここまではよいとして、問題はこの後なんです。
 僕は、ものをきちんと整理できない性格なので、これら大量の書籍は、著者も判型もジャンルも既読未読の別もなく、バラバラに部屋の本棚に収まっています。当然、奥ゆきのある本棚には2段、3段と本が重なっていて、ここから目当ての本を探し出すのが容易ではありません。
 しかも「ふと思い出して、探す」ことが僕はやたらに多く、その都度、部屋中を引っかき回しますから、Aの本棚にあったものがBに移るなんて、しょっちゅうです。
 となると、古書店の店主みたいに「ああ、あれは確かこの辺にあったな」などとは、とてもいえないし……。
 真剣に困っています。

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